アラカン母が娘に残したい日々のこと

アラカン主婦 仕事も家事もそれなりに・・・早くリタイヤ生活を楽しみたいよ~

舞鶴への旅〜ルーツをたどる旅

現在、母は要介護1の認定がおりています。

 

認知症?と疑い始めたのは数年前から・・・

この夏、ようやく重い腰をあげての受診、そして診断確定からの介護認定と続きました。

 

ひとまず、なんでも忘れていく母

以前から妹と 母の生まれた街、舞鶴へ一度行ってみようと話してました。

最初は温泉でも組み合わせて、一泊旅行でと思ってたけど、なかなかお互いのスケジュールや体調が整わなくて、それなら いっそ日帰りでもいいじゃん、と今年の夏のある日に行ってきました。

 

温泉旅行行っても、もう覚えてないよ・・・ある意味、私たちの満足のためになっちゃうかもね、なんて話したこともありました。

 

舞鶴まで、京都縦貫道ができてるからかな 意外とスイスイ走れました。

むか〜〜し、丹波篠山に行った時と比べたら 本当に便利になりました。

 

f:id:huroko265:20181009232524j:plain

パノラマで撮った舞鶴

 引揚記念館の上からの景色です

f:id:huroko265:20181009232620j:plain

f:id:huroko265:20181009232650j:plain

f:id:huroko265:20181009232731j:plain

赤レンガ倉庫

 

母は昭和16年生まれ

この舞鶴で生まれたそうです、戦火がひどくなる頃 この地を離れてきたと言いました。母の父は 海軍にお勤めしていたようです。母に聞いても、なんで舞鶴にいたのか、自分の父と母がどんなめぐり合いだったのか、父の仕事が何だったのかということを聞いてないと言います。

本当に聞いてないのか、それとももう記憶が虚ろなのか、わかりません。そしてその母の父は戦死しているので、お父さんなんて知らない、写真の中でしか知らないと言います。

 

妹と話してたけど、普通は亡くなると 生まれてから亡くなるまでの戸籍を集めるわけなんだけど、今この時に、生まれてから結婚するまでの戸籍を取り寄せて見るのもいいよね、と・・・

 

母の母と父がどこのどんな人だったのか・・・

母のルーツは、結局は自分のルーツにもなるわけで・・・

なんとなくそんな気になっています。

 

 

行ってどうだった、というより ワイワイ言いながら一緒に行動するのが楽しいんだよね。そして、少しでもそんな楽しい思い出をひとつでも多く覚えていられる間に重ねていけたらな〜とも思うのです。