今日は、若かりし頃ずっと一緒にいた友人
いわゆる親友ってやつですね。
彼女とひっさしぶりに会いました。
年始の挨拶をLINEでやりとりした際に、一度会おうよとなって「会うなら 今、日程決めなきゃ また1年経っちゃうよ」ということで実現。
そしていつぶりだった?と思い出すと5年ぶり・・・
毎年年賀状で「会いたいね」というやりとりをするなかで本当に実現する人は何人いるのだろう??と思います。
年賀状じまいをしてみて
私は昨年に「最後の年賀状にします」と送り、彼女も「今年が最後にします」という挨拶でした。今年は本当に何人もが最後にしますと書いてたな。
そして、そうなると本当につながる人とだけつながることになるのかな、という気にもなります。年賀状だけでもつながる意味があるという考えもあるし(実際、昔の私はそういう考えでした)年賀状だけの挨拶に意味あるの?と疑問に思う気持ちも年々増してきて今に至ります。
その最後の挨拶をしたときに、SNSでつながってねとQRコードを添えましたが 新たに追加された人は誰一人もないという事実。私と同じように昨年が最後ですとあった後輩のLINEを私が追加しただけで新たなつながりはなく終了でした。
その後輩に1年ぶりに、新年のLINEを送り 「昨年の最後のあいさつの後 新たにつながったの あなただけだよ」と伝えると彼女も同様で「こんなものかと思いました」と・・・
これが現実なんだなと感じたことと意外とすっきりした気持ちになったものでした。
今、大切な人とつながっていることが大事なのかな
自然とご無沙汰になってしまうということは、それが現実であり
つながりがその時々の関係性の変化にも表れてくるのかなと思ったり
そして歳を重ねるごとに、付きあう人も厳選されるというか 減ってくるというのかな
無駄な(無駄というと言いすぎですが)無理をするお付き合いは必要ないのかなと思ったりします。最後の年賀状やりとりしていた人の中で無理して付きあう人はいなかったつもりだけど 今のつながりの弱さを表しているのかな ということですね。
親友とは不思議なもの
そして今日 5年ぶりに会うことになった友人
実は次の休日にもう一人の友人を交えて3人で会うことになっていました。
が、3人で会うのもいいんだけど やっぱり2人でも話したいよね、と・・・
そこがやっぱり 親友だよねとお互いが言い合える関係の友だからかな
そして久しぶりでも いつもと同じように そしてとても懐かしい気持ちと両方を感じながら 2時間半のお茶をしました。
コーヒー飲めない私は抹茶ラテ
しかしお値段800円! ちょっとお財布にキビシイ~
でも抹茶は濃くて 良い抹茶使ってるのかな・・と思って自分を納得させました(笑)
懐かしいからと言って、昔ばなしばかりをするのじゃなく
今、こうしているよ これからこんなことしたいよね
と「今」を話せるから楽しいのだろうなと思います。
そして その「今」に対する価値観や考え方が やはり共感できるものだから しっくり感じるんだろうなと 今振り返りながら思っています。
価値観が合うから 近しい友達 親友になれるんだろうなと・・・
同窓会は苦手・・・
全くその逆なんだけど、同窓会がとても苦手です。
最初はそんなこともなく 何回か声をかけられたら参加していましした。
また私の中学、高校のつながりがなぜか定期的に同窓会という飲み会をしよう!と声かけする人がいるんです。
飲み会系の同窓会に、ちゃんとした先生も呼んでの同窓会、どちらも何度かありましたが、申し訳ないのですが、本当にここだから本音を吐き出します。どこに参加してもどれも楽しいとは思えなかったのでした。
どうしてか・・・・
そのほとんどが「あの頃は楽しかった」「あの頃はよかった」という話題が多く「同窓生って同じに歳とるから色々気にしなくていいの楽だよね」とか なんというのでしょう。この空気感が全く理解できないし 全く楽しくなかったのでした。
「今」こんなことしてるよ、とか「これから」こんなことしたいんだ、とかじゃなく
「今」の話になると「若い者は理解できん」的な話になるし もうそこが唖然・・・
私は逆に、職場つながりであっても若者と話したり飲み会するほうがとっても楽しい、彼らから学ぶこと教えてもらうこと、生き方考え方、とても刺激を受けるし、応援したい気持ちになるし、自分も若返らせてもらっていると錯覚させてくれる(爆笑)
同年代であってもなくても、共感できる人とのつながりの場が一番楽しいんだろうなと改めて思うのです。
残された人生の時間
ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、60代になってつくづくこの人生の残り時間を考えるようになりました。今日の話題もやはりそこになりました。
私は、昨年母を見送りましたが、友人の母は健在で90代 認知もなく本当に健やかに日々を送っているとのこと 下手したら自分のほうが弱っていってることを感じるよ とも・・ そうなると親を見送ってからと言ってたら 自分が70代になっちゃう、その時今と同じ体力・気力をもって いろんなことできるのかな?と思う。
私も実母は見送りましたが 義父はまだ健在、同じことです。
体力若干落ちていてもそれでも また遊べる気力があるのは事実、だからこそ今を楽しまなきゃ時間は有限だよね とお互い話して共感しまくりでした。
自分が元気で楽しめる時間がおおよそ10年~15年 もっと元気でいられたらそれは、それでいいんだし。でも、その保証はないわけで・・・母が認知症を発症し始めたのが後期高齢者の声を聞くころでした。なんとか75歳を無事に迎えられたら いいのかなと今は思っています。そして、母を見たからこそ 認知症だけはなりたくない、と痛切に思います。自分の娘が最後はわからなくなる、なんて悲しすぎます。
今から、そんな心配をしてもキリがないし こればかりはどうしようもないこと。その時がきても大丈夫なように 備えておくしかないんだよね。と思う。
でも、そこまで深刻ではなく とにかく今は 次の推しに会えるのを楽しみにして生きる!!それにつきます(笑)